建長寺は、日本史の教科書にも登場する名刹。正式名を巨福山建長興国禅寺という。
建長5年(1253)に執権北条時頼がここに大寺を建立する以前、このあたりは罪人の処刑場で、地獄谷と呼ばれていた。地蔵菩薩を本尊とする心平寺なる小さな寺があったようだ。
仏教による治世を志した北条時頼は、宋から名僧蘭渓道隆を招き、建長寺の開山とした。時頼の後継者たちも建長寺を重んじ、至徳3年(1386)には鎌倉五山の第1位とされた。
建長寺は、総門・三門・仏殿・法堂が一直線に並ぶ、禅宗独特の伽藍配置を有している。その三門と仏殿を結ぶ参道の両脇に、ビャクシン(イブキ)の古木が整然と並んでいる。寺伝によれば、開山の蘭渓道隆が宋から持参した種子を植えたという。
その後、伽藍は幾度も火災にあったが、ビャクシンは生き延びた。国重文の仏殿は、江戸芝の増上寺にあった徳川2代将軍秀忠夫人崇源院の霊廟を正保4年(1647)に移築したものである。以来、ビャクシンの近くでは火災はないようだ。
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